ラルカナの使命
ラルカナには使命があります。
それは、カレーを食べることで、みんなが健康で幸せになることです!
株式会社ラズミでは、放課後等デイサービス ペヤールという障害児支援施設を経営しております。
現在、小学生から中学生までのお子様が通われておりますが、時の流れは早く、すぐに大人へと成長します。そんな時「どのように生きていけばいいのだろう」となってしまうと、そのお子様の未来を明るくすることは難しくなってしまいます。
そのため、このお子様達が将来、社会に出る時に、元気に明るく働ける場として「ラルカナ」をオープンしました。
現在ごく当たり前のように日々生活をしている方(会社員、学生、主婦等)も見えないところで、無意識にストレスを溜めてしまっているかもしれません。そういった方々も一緒に、みんなでカレーを食べて、健康で幸せな社会になっていくことを目指しております。
立ち上げをとある女子大生が担っています。日本では昔から夕食の定番のカレーですが、「パキスタンカレー」という目新しい、まだ誰も体験したことのないカレーを食べながら「談笑」してもらえたら、きっと健康で幸せな生活につながると思い、パキスタンカレーで「美味しい幸せ」を皆様にお届けしようと、日々活躍しています。
ラルカナの登場人物
主人公:グイ子
ラルカナをオープンした現役女子大生
家庭での様々なつらい経験を経て、「自分と同じように辛い思いしている人たちを救える人になりたい!」という思いで、パキスタンカレーの「ラルカナ」を再オープン、立ち上げから物件探し等、ほとんど彼女一人で行うほど、すさまじい行動力を持つ。
全力サポーター:シェフ リアズ
パキスタンの本場の味 ~秘伝書~ を唯一再現できるパキスタン人シェフ
グイ子の熱い思いに共感し、「このカレーで、みんなが健康で幸せになれるように頑張ろう」と共同で「ラルカナ」のオープンを手伝う。
ラルカナは超人気カレー店だった!?
2000年練馬に「ラルカナ」オープン 現在の株式会社ラズミの代表取締役社長(ラズミ社長)とその実母でオープンした。
当時は現在のようなカレーブームもなく(インドカレーやナンもほとんど知られていない)、とにかく「自分が体験した味を、日本の皆さんにも知ってほしい!」という気持ちだけで始めた。
そのころからシェフ リアズとともに、カレーの研究や、メニュー開発を行っていた。
様々な種類のカレーを開発したが、中でも自信を持っていたのが「チキンカレー」と「ピクルス」。スパイスの調合も完全オリジナルで、「他のどこのカレー屋さんでも出せない味」として、地元では大人気になった。現在は秘伝の書として伝わっている。
当時は区役所や病院、会社等、店舗・宅配の両方から愛されていた。
しかし、大黒柱の実母が病気で倒れてしまい、営業を続けていくことができなくなってしまったのである。
そんな時に、グイ子と代表が出会い、「あの頃のカレーで、社会を明るくしたい!」という志を共にし、再度オープンすることになった。
「ラルカナ」は、パキスタンの都市名
~ラズミ社長の驚愕!?体験記~
「ラルカナ」の由来となったお話。
パキスタンに滞在中パラッパ、モヘンジョダロに行く機会があり、カラチ(パキスタンの大都市)から陸路で12時間かけ向かった。
途中、日本の観光客なら空路で行かなければいけないような危険な場所とは知らず、道のない場所を進み、添乗してくれた男性2人が「何故銃を持参しているのか?」と能天気なことを考えながら、社会科の授業で学んだ世界遺産をこの目で見れることに、胸がいっぱいだった。
モヘンジョダロ近くのラルカナに到着するも、宿が取れず困っていた。今なら、ネットで調べればある程度は情報が手に入るかもしれないが、当時は何もない。
途方に暮れていたところ、全く知らない人達が自宅に泊めてくれることになり、どのように交渉してくれたのか分からなかったが、優しい対応に甘え泊まらせてもらった。
そこでご馳走になったカレーが、大都会カラチの物とは比べられないぐらい質素だったが、一口食べた時
「なんて美味しいのだろう」
と思わず涙が出た。
見知らぬ私を泊めてくれ、温かいカレーまでご馳走してくれ
そして発つ時、抱きついて泣いてくれたラルカナの恩人を、
私は生涯忘れないだろう。